リヴ・ウルマン
©NORDIC STORIES 2012
Q1.この企画への参加の経緯について最初は出演に関してNOと言ったの。でもその後ノルウェーで監督とプロデューサーに会って話して、この企画の一部になりたいという気持ちにさせられた。ただし私が協力するのは「2日間のインタビューと、私の本(「チェンジング」)の朗読のみ」、それだけ。それ以外の映画の製作過程には一切関わらなかった。出演を決めたのは特に思い切った決断でもなかったわ。なぜって、これまでイングマールあるいは彼と私に関するインタビューをたくさん受けてきたから。でも完成した映画を観て、初めて思ったわ。ここで描かれた内容を事前に分かっていれば、もっと恐る恐る引き受けただろうと。なぜなら、
映画は私がインタビューの内容から受けた印象よりもかなり深く描かれていたから。監督は他に類を見ない位に創造的な人物で、もしイングマールが今も生きていて、この映画を観ていたら、気に入っていたと思う。私や彼なら、私たち二人の関係をきっとこうは描かないと思う。それでも
この映画は、素晴らしいまでに二人の真実の姿を捉えているの。
Q2.もしあなたがこの映画を監督していたら、ベルイマンとの関係の解釈は異なってましたか?
そうね、違っていたとは思う。でも私の監督したバージョンはより真実に近づいた映画になったとは思わないわ。それは「私の考える真実」となったとは思うけど。私ならもっと思い出や彼に対する憧れを語ったと思う。でもこの映画は、私には思いもよらなかった形で私たちの真実を描き出しているの。この映画の興味深い点は、今まで私たちに会ったことのない監督によって作られているということ。彼は私について、私の本と短いインタビューを通してのみ知っているだけだし、イングマールと実際には会っていない。それでもこの映画がいくつかの点で、他のどの監督が描くより真実に近いのは、監督が、私たちと深く関わった人とは違ったやり方で私とイングマールの関係について、客観的に洞察しているからよ。
Q3.映画を観ると、監督とあなたはとても親しく共同作業をしているように思えます。そうではないわ。この映画は彼が独自に創り上げたもので、私はただインタビューに応えただけ。インタビュー以外に私はまったくタッチしなかったし、監督と事前に話し合うこともなかった。編集や仕上げ作業をしてる期間も、また音楽についても話さなかった。完全に彼の映画になっている。
Q4.監督とのコンタクトについて最初に彼から出演依頼の手紙をもらい、私は断った。でもノルウェーのプロデューサーたちが監督と会うように説得してくれてよかったと思う。ある人からの依頼を受けるかどうかは、時に相手に会ってみないと決められないものね。監督と会った時、私は彼に自分とは様々な点での違いを感じた。国籍の違い、異なる宗教・・・。でも彼に私の心の声が聞こえていることははっきりと分かった。たった1時間の会談だったけど、最終的に参加を決めたわ。そして2日のみのインタ
ビュー。それしかお互いを知る機会はなかった。でも完成した映画を観て、私は思った。「ああ、この人は私のことをたくさんの点で知っている」と。
Q5.この映画の特徴の一つに、あなたのインタビュー映像とベルイマン映画でのあなたの出演シーンが交互に織り込まれて描かれていることです。そのことが自叙伝的な役目も果たしていると思いますが、このことは撮影時に考えてましたか?いいえ、まったく。でもこのことはイングマールの天才たる所以ね。イングマールの映画はたくさんの人の人生を描いている、つまり多くの観客にとって自伝的要素を持っていたり、いろんな人の人生と重なるところがあると言えるわ。「ああ、これは私たちについての映画だわ」こういうのは簡単よ。でもある女性はこう言うかも知れない、「ああ、これは私についての映画よ」と。私はこれまで「イングマールの映画が自分の人生と重なった」と言う人を大勢知っているわ。
Q6.この映画をより感動的に体験するためにベルイマンとあなたのコンビ作を観る必要はないと思うのと同じ時に、この映画は普遍的なレベルまで極めた愛の物語だということも思いました。
他にもそんな感想を言ってくれた人がいたわ。「
この映画を楽しむために、私やイングマールの映画を予習する必要はない」とね。そのことに私は驚いたの。なぜなら、最初に映画を観たときにはこう思ったからよ。この映画はベルイマン映画を観た人だけに訴えるだろう、と。
Q7.この映画を観て、あなたとイングマールは一緒には生きていけないけど、同時に離れても生きていけない(パラドックス的な)関係だったのだという強い印象を受けました。
そ
の通り、でもこれだけは確か。もし私たちがあのまま二人で暮らし続けたら、恐らくその後、素晴らしい友人にはなれなかったということ。不思議なことに、完璧なタイミングで別離が訪れた。それはとても辛い、辛いことだった。あんな辛いことは二度と御免だわ。でもそのお陰でこんなに深い友情が生まれたし、これほどの友情はなかなか生まれないものよ。
Q8.撮影時、印象に残っていることを教えて下さい。
一番記憶に残っていること
は、私からの手紙がテディベアの中に残っていたというエピソードね。そのテディベアはイングマールが少年のころから大切にしていたもので、「ありがとう」
ということを書いたその手紙自体は、私にとってそんなに大きな意味のあるものではない他愛ないものだったのだけど、それを彼がずっとテディベアの中に入れているということは知らなかったので、とても胸を打たれた。一生忘れることのない記憶だわ。だってそれは愛だから。そして私が生きていた意味だし、誰かにとって自分の存在がこんなにも息づいていたんだと感じることができることだから。
Q9.この映画で、あなたはとても率直に語られていて、だからこそ私たちの胸を打つのですが、撮影当時、ここまで赤裸々に語ることに抵抗はありませんでしたか?
抵抗はなかった。だってそれは私の人生だから。そして私の人生は他の人と、別のやり方で、非常に似ていると感じたからなの。監督と役者の関係ではなく、人と人の関わり方として、誰もが同じものを感じられるからよ。実際に映画のQ&Aを受けるたびに驚かされるのが、質問する人々がイングマール・ベルイマンとリヴ・ウルマンについてもっと聞きたいということではなくて、自分の恋愛であったり、人間関係について話すのよ。つまりこの映画は二人の有名人の話なんだけ
ど、観る人が自分たちを投影して、そこに自分を見出だす映画なのね。オープンに自分の気持ちを語るということは、もっとされるべきことであると思っているわ。
Q10.あなたが「イングマールが蝿の大群をよこす」と語ったあと、インタビューを受けるあなたの後ろに一匹の蝿が飛んできますが、あれはベルイマンのイタズラだと思いますか?
ええ、正直にそう思うわ。昔、友人たちとの間で「もし誰かが死んだら必ず戻ってこようね」と言っていたの。お互いを怖がらせるつもりはなかったし、蝿だったら殺されてしまうかもしれないけど。イングマールのお葬式に出席した際、ホテルに泊まった私は待っていたのだけど、彼は姿を現さなかった。でも翌朝起きたら
窓が開いていて、テーブルの上に鳥が留まっていて次にはスっと立ち上がり、外に飛んでいったの。普通、鳥は部屋に入ったらバタバタと暴れるものだけど、
全然様子が違っていた。その鳥はまた戻ってきて、テーブルの上に留まり、また飛び立った。私はこの鳥のことをイングマールだと思ったわけではないけれど、
この世界にはある種のエネルギーがあると思っているので、きっとイングマールの魂が行った先の何かが知らせてくれたのではないかと思ったの。死後の世界のようなものはあると私は信じているし、彼がそこへ向かっているということを、その鳥はきっと教えてくれたんだと思うわ。私はそう信じたいし、何らかの形でイングマールが来てくれたと思うの。だからそれ以降は彼が戻ってくるのを待つことは止めたわ。
Q11.この作品を観たあとで、ご自身の気持ちに、また、ベルイマンへの思いに変化はありましたか?
変わらなかった。この映画からは幸せを感じることができたわ。イングマールに私が軽くほっぺを撫でられていたりだとか、私が彼に微笑みかけるというような場面を観て思ったのは、「
人は日常の中で、どのくらいその人に触れられているか、愛されているか、ということに気づかないことも多いんだな」ということだった。映画を観たときに、本当に私たちの間には絆があるんだと感じたの。「痛いほどの絆」とイングマールは言っていたけれど、もしかしたらそれは間違っていて、私たちにはただ「絆」があったのではないかな、とも思ったわ。
Q12.映画の中で“ベルイマンの影”としての自分に対する苦痛について語ってますが、今の心境は?
私はこれからもずっとイングマールとの仕事を誇りにするでしょう。でも同時にチェーホフの「ワーニャおじさん」の舞台化や、「令嬢ジュリー」のリメイク映画を監督している。そして恐らくブロードウェイでイプセンの「人形の家」を演出することになるわ。だから、私の人生はしばらくイングマールとの人生と切り離
されてきたけど、それと同時に常に彼とは心で繋がってきたの。彼がいなかったら、これほど頻繁に映画・演劇界の素晴らしい人たちと仕事をすることでの深い
充足感は得られなかった。イングマールは私にたくさんの知識と信用をもたらしてくれた。そして彼が教えてくれたことを私は映画界で駆使したわ。私が1970年代ハリウッドに渡米して、最高とは言えない仕事をしたときでも私は笑って過ごせたの。なぜなら私がそこに携えていったのはイングマールとの素晴らしい仕事の数々だったから。ハリウッドの誰も私のことを「使えない女優」なんて言えなかったわ。
Q13.日本の観客たちへ、作品の見所を教えてください。
この映画を観て感じてほしいのは、
人はみなユニークな存在でありそれぞれが人生の物語を分かち合っているということ、そして時を同じくしてこの世界に生きているということ。文化や宗教が違えど、心や魂でお互いを見ることができるはずだわ。日本の皆さんにも是非そのことを感じてもらえれば嬉しいわ。それは現代だからこそ特に強く求められることだと思うの。電話やコンピュータでばかり語り合うのではなく、
人と人とが顔を合わせて対話をすべきだと思うから。
リヴ・ウルマン
©NORDIC STORIES 2012
【リヴ・ウルマン】
1938年12月16日エンジニアの父親の仕事の都合で東京で生まれる。ロンドンで演技を学び、1957年に映画デビュー。1972年の『移民』(あるいは『移民たち』)でゴールデン・グローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)を受賞、アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされる。1975年『鏡の中の女』で2度目のアカデミー賞ノミネート。2000年には『不実の愛、かくも燃え』を監督。1966年に『仮面/ペルソナ』に主演し、ベルイマンと出会う。2人は公私共にパートナーとなり、10本の映画を制作。ベルイマンとの間には娘リンがいたが結婚はしなかった。ウルマンは1985年に不動産業者の一般男性と結婚するが、ベルイマンとの友好関係は終始続いて、2007年にベルイマンの最期を看取る。その後も映画界、演劇界で精力的に創作活動を続けて、2013年現在も『令嬢ジュリー』のリメイクを監督するほか、数々のプロジェクトが進行中。
●リヴ・ウルマン誕生日サービスデー実施●
主演のリヴ・ウルマンは、1938年12月16日の東京生まれ!
「リヴ&イングマール ある愛の風景」の鑑賞料金がこの日限定で
「1000円均一」になります!
この機会をぜひお見逃しなく!(渋谷ユーロスペースのみ)
※当日16:30から上映される「サラバンド」は通常料金です。
<リヴ・ウルマンからのメッセージ>
親愛なる日本の方々へ、
日本で生まれることができて私は嬉しく思います。
私の母親によると日本に住んでいた頃が私たち家族にとって、最も幸せで美しい時代でした。
その後、第二次大戦中に私の父親がアメリカで亡くなった時、私たちの人生は変わりました。
私の人生を通して常に私は日本のことを、つまり私たちがとても幸せだった時を想っているのです。
―リヴ・ウルマン―●北欧区よりプレゼントのお知らせ● 映画「リヴ&イングマール」の劇場用ポスター(B2サイズ)を、抽選で3名様にプレゼントいたします!!
応募〆切は、2013年12月13日(金)正午。
応募詳細は
こちら!みなさまのご応募、お待ちしております!
誰かのそばにそっと寄り添いたくなる季節にぴったり!
映画「リヴ&イングマール ある愛の風景」は、12/7(土)より渋谷ユーロスペースにて上映中!
大阪シネ・ヌーヴォ、梅田ガーデンシネマは12/14(土)より公開されます(その他全国順次公開)!
>>【12/7公開】映画「リヴ&イングマール ある愛の風景」(原題:Liv and Ingmar)