1820年創業、北欧フィンランド最古のテキスタイルメーカーとして知られる「Finlayson(フィンレイソン)」。日本にも上陸を果たし、日本のものづくりを得意とする企業とのコラボレーションから、数多くのアイテムが登場しています。
フィンレイソンを代表する人気パターンの一つ、愛らしい象のモチーフが並ぶ「Elefantti(エレファンティ)」を手がけたライナ・コスケラさんが初来日。今回、約1ヶ月ほど過ごした日本の旅は完全プライベート。貴重な時間をいただき、お話を伺うことができました。
日本を知ったきっかけは、
恩師カイ・フランク先生!
念願の日本への旅。美大生だった頃、一人の先生から日本のことを聞き、いつかは行ってみたいと願っていたライナさん。その先生とは、アラビアの人気テーブルシリーズ「Teema(ティーマ)」や「Kartio(カルティオ)」を生み、“フィンランドの良心”と言われた、カイ・フランクです。
ロシアから船で日本へと旅をしたカイ・フランク。「とても清潔感のある国。日本人は船をキレイにピカピカに磨いていた」というカイ・フランクの話の印象が強く残っているそうです。日本の陶芸・木工品といった手工芸品を見せてくれたり、スウェーデン語を話すカイ・フランクから、スウェーデン語で書かれた本を見せてもらいながら、日本に思いを馳せ、それはワクワクしたそうです。
松屋銀座のグッドデザインコーナーを長年担当した梨谷祐夫(なしたに・さちお)さんのことを、フィンランドでは誰もが名前を知っている日本人だといいます。「フィンランドのデザインプロダクトが日本で広く紹介されることになったのは、梨谷さんのおかげに違いない」とライナさん。梨谷さんはカイ・フランクについても非常に詳しかったとか。
ファッションデザイナーとして活躍
当時のエレファンティを探すライナさん
1969年、フィンレイソンと芸術デザイン大学共催のデザインコンペがあり、そのときに提出したのが「エレファンティ」。ストックホルムのデパート「オーリエンス」に自分のデザインが並んでいるのを見たとき、嬉しくて思わず、「私のデザインなんです」と店員に伝えたそうです。赤・黄・ダークブラウン・ダークブルーのカラー展開で、子供用の寝具やメーター売りで生地が発売されていました。
大学を卒業後、ライナさんはファッションデザイナーとして活躍。トゥルクのニットファッションメーカー「Silo Oy」、スポーツウェアメーカー「Leijoaa Pukine」、タンペレのシューズ・レザーブーツメーカー「Sl-la」などに、デザインを提供してきました。
1990年代後半までは、ダンスコスチュームなどもデザイン。その後は、木版画や彫刻、グラフィック、絵画といったアートに携わるようになります。2005年より、イタリアやエストニア、リトアニアなどで展示会を開催。東京で開催された展示会にも出品しています。
現在はタンペレに住んでいるライナさん。なんと、フィンレイソンの元オフィスと同じビルに、他2人と一緒にスタジオをシェアして、作品づくりをしているそうです。
2012年にヘルシンキが「ワールド・デザイン・キャピタル」となり、プロジェクトの一環として、「エレファンティ」が復刻。フィンランドのクラシックデザインが再び注目されることになりました。
実は、70年代に発売されていた当時の「エレファンティ」を探しているライナさん。タンペレのフリーマーケットで2つ、当時の生地のものを発見。そのうちの1つは、ミュージアムに寄贈したそうです。
タンペレのフリーマーケットで見つけたもの。美しいオレンジ色は70年代当時のままだとか。
自分が良いと信じるものに突き進んで!
自分で考えて、行動して、自分のスタイルを
念願の日本への旅には息子さんと来られたとか。今後どんなことをやっていきたいかを尋ねると、「どんどんチャレンジしていきたいわ。デザインしていきたい」と意欲満々。日本で発表されたエレファンティの商品に囲まれたライナさんは、「とてもステキ!この色好きだわ」と、ひとつ一つ、感慨深げに眺める姿が印象的でした。
3月29日に東京インテリア家具幕張店で開催されたトークショーで、会場の方から「良いデザインはどうしたら生まれるのか」と聞かれたライナさんは、「自分で考えて」とばっさり(笑)。「自分が良いと思うものに突き進んでいくといいわ」とお話されたそうです。はじめは自分の好きなようにデザインし、それが良いデザインに結びついていく。思いつくままに、自分が良いと思うものを。そうすれば、自分だけのスタイルが次第に生まれていく・・・。
「ああ、話が尽きないわね!」そう言って、いつまでもきらきらと目を輝かせていました。
【Laina Koskela(ライナ・コスケラ)プロフィール】
1945年、フィンランドPeräseinäjoki生まれ。ビジュアル・アーティスト、版画家。
フィンランドのテキスタイルメーカー、フィンレイソンの人気柄「エレファンティ」の生みの親。1969年に開催されたフィンレイソンと芸術デザイン大学共催のデザインコンペに提出したのがきっかけ。ファッションデザイナーとして活躍後、版画家として現在も展示会などに出品。タンペレ在住。
【動画】「コロナ」「タイミ」を手がけ、1951~1974年までフィンレイソンのデザイナーとして活躍したAini Vaari(アイニ・ヴァーリ)も登場。ライナさんの貴重な「エレファンティ」のドローイングは必見。
取材協力:株式会社アンドフィーカ
取材:北欧区 hokuwalk.com