2014年はトーベ・ヤンソン生誕100周年ということで、ムーミンを目にする機会が多くなり、さらには、ムーミンの生みの親だけでなく、芸術家としてのトーベの作品もまた、展覧会などを通じて注目を浴びました。そんなアニバーサリーイヤーの11月に、トーベが遺した貴重な手紙、日記、メモを通じて、これまであまり触れることのなかったトーベの素顔が鮮やかに描かれた評伝『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』(ボエル・ウェスティン著/畑中麻紀・森下圭子訳/講談社)が刊行されました。
トーベが最も信頼を寄せていたスウェーデンの研究者、ボエル・ウェスティン氏によるこの評伝を、フィンランドに渡って20年、現地コーディネートや執筆をこなす森下圭子さんと、翻訳者の畑中麻紀さんが共訳。640ページにもおよぶ評伝の前半を森下さん、後半を畑中さんが担当。昨年末、一時帰国されていた森下さんに、評伝にまつわるエピソードや見どころなどをお聞きしてきました。森下さんも初めて知ることばかりだったそうです。
■ムーミン秘話や小ネタがいっぱい!「誰か日本語に訳してくれないかなって待ってたんです(笑)」
原書が刊行されたのは、トーベ・ヤンソンが亡くなってから約6年経った2007年のこと。森下さんはムーミンファンの一人としてこの本に飛びついたそうです。「誰か日本語で訳してくれないかなーって待ってたんですけど、まずこの本の存在さえ日本で知られていなかったので、訳したいって思いました」と、日本の人にもトーベのことをもっと知ってもらいたいという森下さんの思いが実現。
「最初に読んだとき、ムーミン秘話やら、小ネタがいっぱいで(笑)そんな発見の喜びが大きかったですね」と森下さん。ムーミンの背後にこんなのがあったんだ!とか、トーベはこういう情景を見ながらこの山の絵を描いたんだ!など、ムーミン童話や絵画作品に見え隠れするトーベの生きてきた環境やその時々の心情が、この本によって結びついたといいます。
まず初めから圧倒されるのは、ものすごい記録の量。メモに手紙に、小さい頃からきちんと残っています。ちょっと添えられた挿絵に、美しい文字。一通の手紙はまるでキャンバスのよう。後ほど誰かに見せることを想定していたかのような膨大な記録に驚かされます。「(誰かに見せることを)想定していますよね」と深くうなずく森下さん。実際、ウェスティン氏がトーベに会いに行ったとき、一緒に手紙を見ながら話してくれたそうです。
■表現し続けることをやめなかったトーベ。自分に対して常に誠実な生き方を貫く。
マリメッコの創世記を支えたヴォッコ・ヌルメスニエミが、トーベのことを、“生き方そのものがデザイナー”だと話していたとか。「もしあなたなら、第1回目のカイ・フランク賞(※フィンランドの権威あるデザイン賞)を誰にあげる?」と聞かれたヴォッコは、真っ先にトーベの名前をあげたそうです。トーベは最期の最期まで「表現」し続ける人でした。
評伝には、これまであまり知ることのなかったトーベの恋愛話にも触れています。トーベに大きな影響を与えた男性や結婚間近だった男性も。「特に(初めての女性の恋人)ヴィヴィカとの別れには胸が熱くなりました。手紙やメモがリアルに引用されていて身につまされる思いでした・・・本当にまっすぐで、傷ついたり、すごく苦悩し続けた人生ですよね」と、トーベの恋のストーリーにもグッときたという森下さん。
時代に翻弄され、苦悩の連続。「なのに、人生の軸がブレていないところがすごいですよね」と森下さん。嘘をつかない、真摯な生き方。批判されてもゆるがない姿勢。こういう人から生み出された作品だからこそ、人の心に響き続けるのかもしれません。
また森下さんは、仕事に、人に、自分に対してトーベの誠実な生き方に、「訳したいって思ったのも、この本を読むと、きっと生きることが少しラクになるんじゃないかな」と感じたのだとか。自分は自分でいいのだと。
■言葉を使って“音楽”を奏でた詩。それは、トーベの人生そのもの。
森下さんが特に思い入れのある、お気に入りの部分は、共訳の畑中さんと講談社の横川さんと3人で一番いちばんやり取りした619ページの詩「スナフキンの春のしらべ」。これは、トーベが生涯大切にしていたという孤独と自由への賛歌。この詩の言っていることが途中で変わっているのがどうも腑に落ちないという畑中さんに、森下さんもあらためてじっくり読み返してみたところ、フィンランド音楽にもよく見られるような、途中で変調しているのではないかということに気づきました。トーベも歌ったり踊ったりするのが好きな人だったので、途中で調子が変わっているのはトーベの意図するところで、畑中さんがつけた訳であっていると確信した森下さん。
「言葉を使って、音楽を奏でたんだと思います。スナフキンがやっていたように。この詩は、評伝の前半部分に近い。思うようにいかない日々をひたむきに懸命に生きてきた。“希望”という言葉で自分を守り、奮い立たせないと、自分をまっすぐに生かすことができなかったのではないかな」
自分を守るために、“希望”という言葉で自身を支え続けたトーベ。後半部分は大人になり、自分のやることがはっきりしてきたためか、飾りの部分が要らなくなり、ゆるぎない強さが出てきました。ムーミンでいろいろ苦悩はあったとはいえ、もう“希望”という言葉で守らなくてもよくなり、不安が徐々に薄らいでゆく様子。それが「春のしらべ」に出てるのではないかと森下さんは分析します。
■フィンランド人のムーミンへの印象の移り変わり。あらためて感じたトーベの偉大さ。
森下さんがフィンランドへ降り立った1994年は、日本で制作されたテレビアニメが大ヒットしていた頃。ちょうどムーミンワールドが出来たばかりの当時、ムーミンは子供のものであり、「えー?ムーミンでフィンランドに来ちゃったの?」と、現地の人に驚かれたという森下さんですが、トーベの死後、ムーミンに対する印象が徐々に変わっていくのを感じたそうです。例えば、ムーミンのモチーフを身につけていると声をかけられるように。ムーミンがコミュニケーションのきっかけになっていきました。
2001年、ヘルシンキのアカデミア書店で行われていたトーベの記帳に足を運んだ森下さんは、そこでトーベの偉大さを肌で感じたそうです。ものすごい行列で、「ありがとう」など、ひとことメッセージを添えて名前を書いた人が多くいたとか。「この人はこんなに愛されていたんだ!」と、実はフィンランドに来てから初めて知ったといいます。あらためて原作が注目を浴びたり、大人向けの小説にも目が向けられるようになりました。
2014年のトーベ生誕100周年で再びフィンランドで高い注目を浴びたトーベ。ただ、トーベ・ヤンソンという人物は、フィンランド人にとってすっかり“日常”になりきっている様子で、身近になりすぎているせいか、国内でも100周年を祝う関連イベントは開催されていたものの、それが事前に大々的に紹介されることがなく、終わってから「え?どこでやってたの?」と、風の便りで知る形になったとか。
「花冠のワークショップとか、いろいろ素敵なイベントがあったのに、そのあたりでふわっと行われて終了しているという状態(笑)でもそういう風土だから、こういう人が育まれるんだと思います」という森下さんの言葉に、妙に納得してしまいました(笑)。
日本人にムーミンが好きな人が多いことは、フィンランド人はよく知っているそうです。「できたらこの評伝をきっかけに、ムーミンとともに、トーベ・ヤンソン自身のことも知ってもらえたらいいなとすごく思いますね」
共訳の畑中麻紀さん(左)、森下圭子さん(右)
森下さんが持ってきてくださったムーミンキャラクターで和みまくり!手にされているヘムレンさんのフィギュアは全部で39体という団体様で来てくださいました(笑)ヘルシンキのムーミンショップ店長の私物だとか!(ブログもあわせてどうぞ)
●森下圭子さんよりメッセージ●
大人になってからムーミンを再読したときに感じたのは、トーベ・ヤンソンという人は言い訳もしないし、説明もしない人だなと。すごく読者を信頼しているんですよね。周りに評価されるために何かをするのではなく、「私はこうなの。あなたがどうとろうとも、それは自由よ」と言っているかのよう。まっすぐ投げかける。それって、フィンランド人の生きざまによく似ていると思います。
そんなムーミンを読んで、ムーミンが生まれた国がどんな所なのかを知りたかったというのがきっかけでフィンランドにやってきました。フィンランド語を学んだのも、ムーミンという文学が生まれた背景が知りたかったんです。トーベ・ヤンソンを育んだフィンランドという国を知りたかったんですよね。フィンランドは人口が少なく、一人たりともムダにはできない人材をとても大切にする国。一人ひとりの個性を伸ばすことを意識した教育を受けているということもありますが、大人になるにつれ、徐々にいろんな足かせが取れて、より個性が強くなってきている気がします(笑)
私もフィンランドに住んでみて、足かせのようなものがどんどん取れていくのを感じています。のびのびと生きさせてもらっている気がします。この評伝を読んであらためてそう感じました。トーベのファンやムーミンのファンだけでなく、今ちょっとつまづいている人や、今の日々を生きづらいなぁと思っている人にもぜひ読んでもらいたいです。
【森下圭子(もりした・けいこ)プロフィール】
1969年生まれ。日本大学藝術学部卒業後、ヘルシンキ大学にて舞台芸術とフィンランドの戦後芸術を学ぶ。現地での通訳や取材コーディネート、翻訳などに携わりながら、ムーミンとトーベ・ヤンソンの研究を続けている。ヘルシンキ在住。
2014年のトーベ・ヤンソン生誕100周年に続き、今年2015年はムーミン本が出版されて70周年となる記念の年になります。この機会に、ムーミンシリーズを再読してみたり、まだ読んでなかった!という方は手にとってみてはいかがでしょうか。評伝『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』(講談社)を通じて、トーベが見てきたもの、聞いて感じてきたものを知ると、よりいっそう濃く深く、ムーミンの世界観が味わえることでしょう。
評伝翻訳の裏話も必見!ブログもぜひご一緒に♪
取材:北欧区 hokuwalk.com
Special Thanks to:森下圭子さん、畑中麻紀さん、横川浩子さん
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